かきたいとこだけ雰囲気メモ

*ブロマンス風味

 

やはり彼にはよくわからなかった。甘酸っぱいとかなんとか、よくわからなかった。ただ目の前の男が失われることを考えると、むねのあたりがきりきりと痛んで、なんだか苦しく、泣きそうになった。もういちど、男を見た。微笑んでいた。冬の、優しくない風、突き放すようなきびしさを持つ風が、男の髪をぶわ、と揺らしている。吐息も、風のかたちに揺らめいた。たちくらみをおぼえる。きれいだ、と彼は思った。

さいごであること

 *先週のお題です 書きたかったので、おそばせながら。

 今週のお題「平成最後の夏」

 

  わたし、別にパリピではないから、この夏。特に何もしませんでした。遊んだり、海に行ったりしている友達を横目で見ながら。いいねえ、確かに私もちょっとは行きたかったかもしれない、お祭りとか。旅行とか。でもそれはあくまで「ここ数年間行ってないから久しぶりに行ってみたいな」とかいう、あくまでそれだけの話で、だから別にそれが今年でなくてもそう思っただろう。私はなにげ、「へいせいさいご」ということばの魔物から影響を受けずに過ごしているけうな人間であるかもしれない。むよくだから。

 

 最後という言葉には魔力というか、人に焦燥を与える力を有しているとずっと思っていた。例えば偶々行き会ったパン屋さんで、別に当初、何も買う気はしていなかったのに、店員さんから、

 「このパン人気なんですけど、ちょっと材料買うのが厳しくて…。今回で、最後にしようと思っています」

  とか言われちゃって、入れ物の中にたった一個しか残っていないパンを見せられちゃったら、なんとなく、買わなきゃいけない気がしたり。また、話が飛躍しすぎかもしれないけど、例えば病院で不治の病と医者から宣告されて、生存期間まで提示されてしまって、ではその間に、何かできることはないかと必死に奔走したり。

 さいご、という言葉には切実さがあって、もうもどることのできない、という意味もひそかな感じとして存在しているとおもう。それでおわりです、ぱっつん。今までのつながりが突如切られて、もとの所にはもどれません。ざんねん、じゃんじゃん。本来なら私も、さいごという言葉に恐れをなすはずなのにね。なんでだろう、年号なんか変わっても、私が生きているという証拠はかわらない、と強くにんしきでもしているのだろうか。

 今まで読んだ本で、わたしの感じる焦燥と強くリンクしたのは、森絵都の、「永遠の出口」だった。ある女の人の、おさないころ(小学生だったかな?)から40歳になるまでくらいをかいた連作短編集なのだけど(詳しくは実物を読んでください)、そのなかで、彼女が家族とともに何らかの旅行にいったとき、姉から、とある工芸品かなんかを指して、あんた見てこなくていいの、もう見ることはかなわないかもしれないのにと言われる場面がある。それを受けて主人公は、たまらなくなって、その物の前に駆けていく、みたいな。おさないころからじぶんにはそういう性質があった、と語られて、それをよんだわたしはおもった。 ちょーわかる。

 わたしにも似た経験があって、以前、県の補助を受けて沖縄に行く、みたいな事業に参加したんだけど、沖縄行って、満喫して、さあ帰るぞ、という時になって突然、

 「わたしシークワーサー飲んでないじゃん…? 沖縄きたのに…? あほじゃん…?」

という心地に襲われて、時計も持ってない中大急ぎでペットボトル入りのシークワーサー500mlを買いに行ったことがある。時間にも間に合ったし、ちゃんと買えました。ひどく酸味が強くておいしかったのを覚えているけど。

  ざっくり言うとこんな感じかな…? 言いたいことは以上です。主張にみゃくはくがないね。ちなみに、やってはいないけどしたかったことと言えば、疲れているであろうあこがれの人の、てのひらを指で揉みしだくことくらい。日々疲れているであろうあのひとのこと、いやしたかった。出来やしないけど。

 

 

かつて家族で行った旅行のこと

 旅行、というタイトルにしておきながら、多分だけど、わたしは今までに家族で遠出をした記憶がない。少なくとも、飛行機や電車に乗っておこなうような長旅は。ものごごろ付いた時からなんとなく家族内の雰囲気はごちゃごちゃしていて、また、家族の性格もレジャー向きではなかった。母は「家族らしさ」というか、‘‘仲の良い家族‘‘というものにあこがれがあるみたいで、本来はそういったものにも行きたかったろうと思ったりする。しかし生憎、母以外の家族は、私を含めても、外に出るのはあまり好きではなかった。

 一つだけ私が思い出せる家族での思い出は、海だ。一回だけ、家族4人で、隣りへ海水浴に出かけたことがある。私が10歳くらいの時、母と父、私と兄で。 わたしはそのころスイミングスクールに通っており、クロールくらいはできたが、海とプールでは環境が違った。例えば深さとか。水の温度とか。匂いとか。 塩っ気のある水をおもいきりすいこみ、むせ返り、うまく泳げなかった私はしょげ込んで。その後帰るまでに水につかることはなく、母と一緒に砂浜をてくてくと歩いて過ごした。

 変なものを発見したのはそのあるきの途中だった。前方、何か大きさを持ったかたまりが砂浜に横たわっていた。それに動く気配はなかった。興味をひかれた。母と一緒に、恐るおそる近づいてゆく。

 

 それが死んだ鯛であると私に教えてくれたのは母であったはずだ。当時の私にはその体は大きく感じられたが、実際の所A4サイズくらいでしかなかったのだろう。腹を見せて、横たわっていた。母は私の手を引いた。もういこう、と母は言った。

 私としては、その魚を家に持ち帰るのだろうと予想していた、しかしそうではなかった。おかしい、と思った。いや、タイやで! ふつう持ち帰るやろ! 刺身にするんとちゃうん。

 まあ普通に考えて、いつ死んだか、なぜ死んだかもわからない魚を持ち帰って食おうとする馬鹿はいませんよね。今ならわかる。保冷バッグもなかったし。

 

 とりあえず、砂浜で見つけたさかなはたとえ珍しくても食べちゃダメですよ。おなか壊すし、今頃はどんな寄生虫がいるか分かったものではないですから。

 

おわり 

かつてともだちだとしんじてうたがっていなかったきみたちのこと

 私としては、あの細やかな動作、少しうつむいて目をつむること。それは会釈しているつもりなのだよ。うまく私が付き合いきれなくなってしまった、つがいみたくなった君たちのこと、君たちに対して。少し前は全く信じられなかったけれど、これでも少しは受け入れることが出来るようになったはずなのだ。ちょっとは落ち着いて、心の平静を保てるようになってきたはずなのだ。だから、変に思わないでほしい。例えば君たちが二人で楽しんでいるとき、私があなたたちの横を不思議な動作で通ること。私は別に、別に、君たちのことが嫌いなのではなくって。

 

 帰り、とある部屋への道すがら。通りすがり、君たちに会ったよ。顔を合わせた。すれ違った。君たちはおうちに帰るためにその廊下を歩いていて、身を寄せ合いながら。わたしは君たちがついさっき発った部屋へ忘れ物を取りに戻るためだった。君たちは何か話していたのだろうか? そのこと、わたしには定かでなかった。いくら私の耳がよいといっても、他者の、声を潜めあった、密やかな話が聞こえるほどでないので。 君たちもまた、少し下を向いていて、そう言えば。今考えると、君たちに私の姿は見えていたのだろうか? 見えていなかったかもしれないね。私の、自意識過剰な考え込みだったのかも。それでも、その瞬間、わたし、君たちが私の存在を認めたと思い込んで、数瞬、フリーズして、どうして自分はこの道を、このタイミングで歩こうとしてしまったのか、悔やんだ。しんどい、と思った。そして私、何故だか「へいきなふり」をしなくてはいけない気になって、声。かけたほうがいいのかなと思いつつ、でもさすがに不可能で、だから私は会釈をした。小さいものだ、それが礼かもわからないくらいの。君たちと距離が、すれ違うわけだからどんどん近づいて行って、肩と肩が一瞬、一直線上に並んで。そして離れる、そのタイミング、わたしは思い切りスキップした。スキップして、ちいさくあぁ、とか言っちゃって。何でもないように、ふるまいたがった。私は、平気です、きみたちのことなんか、なんにも。まぁ、その空威張りも、数秒後に聞こえてきた君たちの笑い声の、前にガラガラと崩れさっていったのだけど。

 

 もう一回言わせて、きらいなわけじゃあないのだよ。ただ、君たち二人のこと、直視できなくなってしまっただけで。